an online Instagram web viewer
  • yutatruchock
    Yuta Truchock
    @yutatruchock

Images by yutatruchock

Disneyとの付き合い方

Disneyが21st Century Foxを買収した話は、今年の4月にニュースで目にした。
それが、僕たち映画ファンにとってプラスに働くか、はたまたダメージを与えるかはわからないが、ここ最近のDisneyについて思う事があるので書きます。

Disneyが作るアニメーション作品の全ては、超頭がいい人たちが、超時間と努力と執念をかけて練りに練った、超高水準の作品だらけ。
そして、そのDisneyが手がける実写作品も、特にMARVEL系の作品に関していえば、高い質の作品が連発されるようになったし、マーケティングや戦略も鉄壁な姿勢をとり続けてる。

要は、Disneyの手がかかったものは、どの作品も軒並み良質なものが多い、という風潮が強くなってきた。

しかし、弊害ももちろんある。
そして僕個人としては、その弊害はとても見逃せるものではないというのが今の気持ち。

まずは、Disneyが作品を管理するという事。
それはすなわち、Disneyによる検閲がかかるようなものだと、僕は捉える。
要するに、 "Disneyの考えに背くものはいらない"

という考え方。

その何が間違ってるのか?と問われれば、間違いではない。でも、少なくとも、Disneyが買収した作品群やシリーズの中では、永遠に"Disneyの考え"に従うしかなくなる。
これは、見る側がそれで良しとするならまだしも、作り手たちに対しても、従順な姿勢をとらせる、それに従えないのなら外されるわけだ。(ジョシュ・トランクやジョス・ウィードンの降板劇に見られる)
そのくせ、「最後のジェダイ」の様な劣悪な粗悪品を、買収してウハウハなSTAR WARSシリーズの、しかもメインストリームの方で容認するのだから、そのバランス感覚に関しては、少し疑いを持ってしまう。
ここから、次の話にフェイズがつながるのだが、キャラクターという点。

確かにディズニーのキャラクターは愛らしく、人気が出るであろう。(そりゃ、グッズもバカバカ売れる)
それは全然いいことだと思うし、僕もプーさんのグッズには目がない。だけど、ここで一つ重要なポイントを忘れてはいけない。

ディズニーの世界観の中で、

キャラクターの愛らしさ=物語の正しさ

と地続きにすること。
つまり、人気キャラクターが行う行動原理が、"善きこと"として映されるからだ。
(だから、ディズニーは度々悪役の描き込みがぬるいという指摘を受けている。
ちなみに、STAR WARSに関しては、この考えは含まれない。
なぜなら、STAR WARSはすでに、ディズニーにとって金の成る木であり、
"新作作ってキャラクター出せば、ファンは買うだろ、どうせ"ぐらいにしか考えてない感じが、作品にもろに出てしまってるからだ。) そういった意味で、
家族愛のために、国民に迷惑をかけても、それが家族愛の表現のためなら、何の問題もなく、良い物語だという考えを示す「アナと雪の女王」のシリーズが嫌いなのだが、実はアナ雪だけではなく、ディズニーのお話には、こういうモノがとても多い。
しかし、ディズニーの恐るべき作品のクオリティと、愛らしいキャラクター造形と、音楽のセンスや諸々で、"消臭"は出来てる。

夢の国、とはよく言ったもので、ディズニーは、映画の世界においても、一度足を踏み入れてしまうと、そこでは一個人の考え方・捉え方を奪い去る魔力がそこにあるのだ。

しかし、一歩引いて考えてみよう。
それは、ほんとに良い話なのか?
批判ではない。

ディズニーに身を任せて、ディズニーの決めた善きことにどっぷり浸かって、ディズニーが示した幸福と、夢のある未来に染まるのであれば、それこそ、ランド内のアトラクションと同じで、座って目の前に起こることに口をあんぐり開けて見つめてるだけで、それはそれで幸せに生きていけるでしょう。

しかし、それこそディストピア的な世界と紙一重なのではないだろうか?
ディズニー帝国。

せめて僕は、映画の中では、ディズニーのロゴが出たら、構えるようにする。

ディズニーは素晴らしい。
しかし、忘れてはいけないのは、彼らが提示するものが全て、正しいということではないこと。
何より、人種差別に対して、コミックを使って間口を広げ続けたスタン・リーが作り上げたMARVELが、ゴリゴリの人種差別主義者だったウォルト・ディズニーの世界に買収された事実も胸にとどめながら、ね。
Disneyとの付き合い方 Disneyが21st Century Foxを買収した話は、今年の4月にニュースで目にした。 それが、僕たち映画ファンにとってプラスに働くか、はたまたダメージを与えるかはわからないが、ここ最近のDisneyについて思う事があるので書きます。 Disneyが作るアニメーション作品の全ては、超頭がいい人たちが、超時間と努力と執念をかけて練りに練った、超高水準の作品だらけ。 そして、そのDisneyが手がける実写作品も、特にMARVEL系の作品に関していえば、高い質の作品が連発されるようになったし、マーケティングや戦略も鉄壁な姿勢をとり続けてる。 要は、Disneyの手がかかったものは、どの作品も軒並み良質なものが多い、という風潮が強くなってきた。 しかし、弊害ももちろんある。 そして僕個人としては、その弊害はとても見逃せるものではないというのが今の気持ち。 まずは、Disneyが作品を管理するという事。 それはすなわち、Disneyによる検閲がかかるようなものだと、僕は捉える。 要するに、 "Disneyの考えに背くものはいらない" という考え方。 その何が間違ってるのか?と問われれば、間違いではない。でも、少なくとも、Disneyが買収した作品群やシリーズの中では、永遠に"Disneyの考え"に従うしかなくなる。 これは、見る側がそれで良しとするならまだしも、作り手たちに対しても、従順な姿勢をとらせる、それに従えないのなら外されるわけだ。(ジョシュ・トランクやジョス・ウィードンの降板劇に見られる) そのくせ、「最後のジェダイ」の様な劣悪な粗悪品を、買収してウハウハなSTAR WARSシリーズの、しかもメインストリームの方で容認するのだから、そのバランス感覚に関しては、少し疑いを持ってしまう。 ここから、次の話にフェイズがつながるのだが、キャラクターという点。 確かにディズニーのキャラクターは愛らしく、人気が出るであろう。(そりゃ、グッズもバカバカ売れる) それは全然いいことだと思うし、僕もプーさんのグッズには目がない。だけど、ここで一つ重要なポイントを忘れてはいけない。 ディズニーの世界観の中で、 キャラクターの愛らしさ=物語の正しさ と地続きにすること。 つまり、人気キャラクターが行う行動原理が、"善きこと"として映されるからだ。 (だから、ディズニーは度々悪役の描き込みがぬるいという指摘を受けている。 ちなみに、STAR WARSに関しては、この考えは含まれない。 なぜなら、STAR WARSはすでに、ディズニーにとって金の成る木であり、 "新作作ってキャラクター出せば、ファンは買うだろ、どうせ"ぐらいにしか考えてない感じが、作品にもろに出てしまってるからだ。) そういった意味で、 家族愛のために、国民に迷惑をかけても、それが家族愛の表現のためなら、何の問題もなく、良い物語だという考えを示す「アナと雪の女王」のシリーズが嫌いなのだが、実はアナ雪だけではなく、ディズニーのお話には、こういうモノがとても多い。 しかし、ディズニーの恐るべき作品のクオリティと、愛らしいキャラクター造形と、音楽のセンスや諸々で、"消臭"は出来てる。 夢の国、とはよく言ったもので、ディズニーは、映画の世界においても、一度足を踏み入れてしまうと、そこでは一個人の考え方・捉え方を奪い去る魔力がそこにあるのだ。 しかし、一歩引いて考えてみよう。 それは、ほんとに良い話なのか? 批判ではない。 ディズニーに身を任せて、ディズニーの決めた善きことにどっぷり浸かって、ディズニーが示した幸福と、夢のある未来に染まるのであれば、それこそ、ランド内のアトラクションと同じで、座って目の前に起こることに口をあんぐり開けて見つめてるだけで、それはそれで幸せに生きていけるでしょう。 しかし、それこそディストピア的な世界と紙一重なのではないだろうか? ディズニー帝国。 せめて僕は、映画の中では、ディズニーのロゴが出たら、構えるようにする。 ディズニーは素晴らしい。 しかし、忘れてはいけないのは、彼らが提示するものが全て、正しいということではないこと。 何より、人種差別に対して、コミックを使って間口を広げ続けたスタン・リーが作り上げたMARVELが、ゴリゴリの人種差別主義者だったウォルト・ディズニーの世界に買収された事実も胸にとどめながら、ね。
髭、8年ぶりのライブと、初めてのpillows。
髭は相変わらず、素晴らしくて。
なんでこんなに好きなんだろ?って、見てたらさ、音楽が壊れそうなギリギリまで、"終わりのない音を楽しんでる姿を観れるからなんだと思う。(人はそれを"トリップ"と言うがね。) んで、もちろん、最高のライブだったんだけど、鳥肌が立つ感覚に襲われた。
この二つのバンドが歌い続けることが共鳴した気がして。

髭は前からさ、"終わらない"を歌ってた気がしてて。歌詞も音楽もね。
で、pillowsは強く"ここは途中なんだって信じたい"って叫ぶ。
で、極めつけは「キッズリターン」の
"まだ始まってもいない"のMCじゃん。
あ、全部繋がってるんじゃんって。
僕さ、きっと映画でも音楽でも、それを言い続ける人たちについて行きたいって改めて思ってたね、永遠なんてないからこそ。
髭、8年ぶりのライブと、初めてのpillows。 髭は相変わらず、素晴らしくて。 なんでこんなに好きなんだろ?って、見てたらさ、音楽が壊れそうなギリギリまで、"終わりのない音を楽しんでる姿を観れるからなんだと思う。(人はそれを"トリップ"と言うがね。) んで、もちろん、最高のライブだったんだけど、鳥肌が立つ感覚に襲われた。 この二つのバンドが歌い続けることが共鳴した気がして。 髭は前からさ、"終わらない"を歌ってた気がしてて。歌詞も音楽もね。 で、pillowsは強く"ここは途中なんだって信じたい"って叫ぶ。 で、極めつけは「キッズリターン」の "まだ始まってもいない"のMCじゃん。 あ、全部繋がってるんじゃんって。 僕さ、きっと映画でも音楽でも、それを言い続ける人たちについて行きたいって改めて思ってたね、永遠なんてないからこそ。
「I,Tonya/アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」

audience killer LOOP 〜胸を切り裂いて流れる血にさえ理由が必要
そうだろ?
人とは傷付けることで癒されていくのだろ?

目の前は深いお前らの渦と嘘の箱庭〜

会ったことも話したことも祈ったことも殴ったことも愛したこともない、外野どもは簡単に言う “裏切られた”
“国の恥”
“説明責任”
“真実を話せ”

クソ食らえ、このAudience Killerども。
クソみたいな生活の中で生まれたクソどものはけ口のために、芸術もスポーツも何もかもが存在しているのではない。

なのに、クソッタレどもは簡単に自分を投影しやがる。
クソ食らえ、お前らが気持ちよくなるために全てがあると思っていやがる。
何が応援だ。
金賭けて応援してる方がよっぽど健全だ、応援する意味があるから。
ファンのために、応援してくれる人のために、って言葉を真に受けてるのか?
みんな、自分のためにやってるに決まってるだろう。

そのくせ、何かあるとすぐに掌を返す。
敵役が欲しくて、叩く存在が欲しくてウズウズしてやがる。
なぜかって?
有名で分かりやすい敵役をこさえて、そいつを叩いていれば、大方自分が正しいことをしている気になれるからだろう?
自分が正しいって感じれるのって、最高に気持ちいいもんだろ?
ワイドショー観てオナニーでもしてろよ、クソ食らえ。
アメリカとか関係ない、このクソ日本でもほとんど変わらないからね、これ。

メディアが垂れ流すクソに翻弄され、そのクソをクソったれ同士でこねくりまわし、クソを吐き出すことしかしないお前らa.k.a我々に、何一つとして語る価値も議論する価値も無いし、答えなんて誰にも出せないのだ。
そう、真実なんてどうだっていいし、本当のことなんてわかったところでどうすることも出来なければ、当人たち以外にとっては一時の暇つぶしにしか過ぎない。

ニーチェの言葉を思い出す。 “事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。” オーディエンスが気持ちよくなるための真実なんか、クソ食らえ。
オーディエンスが気持ちよくなるための正義なんか、クソ食らえ。

作中、登場人物同士がお互いを
“怪物!”と罵り合っていた。(「となりの怪物くん」とは無論関係無い)

確かに、彼らは怪物だった。
トーニャは、自分を表現するスケートのためなら、暴言も横暴な態度も、あるいは芸術とかいうフワッとしたものとも立ち向かうことを辞さない怪物だった。
ラヴァナは、娘を一流にするためなら、猛毒母で美川憲一上等の怪物だった。
ジェフは、トーニャへの愛のためなら、暴力も脅しもなんでもする愛の怪物だった。
お友達のデブは怪物というか,,,最後の本人映像が、あまりにも闇が深すぎて爆笑した。あいつはちょっと論外、ヤベーよ。

そう、確かに彼らは怪物だった。
だけど、どうだろう?連中は、必死だったのだ。
貧困とか惨めさから、死に物狂いで抜け出そうと必死だった。

その必死な連中を前にして、
いい時は喝采を送るくせに、つまづいた瞬間に掌を返して蔑み、自分らのクソのはけ口に、自分の正義を感じるためのオナニーに彼らを”利用”するのが、世俗的な価値観を持った”人間”なのか?

クソ食らえ。
「ダークナイト」の時と同じことを言わせてもらう。
そんなものが人間なら、僕はそこから下りる、”怪物”に喜んで成り下がろう。

醜いと罵倒されてでも、汚い手を使ってでも、他人を蹴落としてでも自分のために必死に戦え。
「Let It Go」の日本語訳verの歌詞にはヘドが出るが、この作品の自分が自分であるためには、心の底から信じられる。

彼女がスケートを奪われて選んだのは、ボクシング。
リンクからリングに場所を移し闘った。
でもきっと、彼女が戦い続けた相手はスケートであろうと、ボクシングであろうと同じだったような気がする。
彼女が最後に見せ付けた、血に染まった笑顔に僕は見たのだ。 “これが私だ、クソ野郎ども”

この映画を、僕が味方しないわけがないだろう。

追記だが、このバカバカしくも世間に中指を突き立てたくなる作品のトーニャに完全に同意を送りたいことがある。
言わなくてもいいけど、どうせなら言わしてもらいます。

スポーツなんだから、すごい技やってうまいほうが勝ちだろ。
芸術点とかフワッとしたこと言ってお高く止まってんじゃねえよ、だから嫌いなんだよ、フィギュアスケートは。

クソ食らえ。←何回言ったでしょうか?
「I,Tonya/アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」 audience killer LOOP 〜胸を切り裂いて流れる血にさえ理由が必要 そうだろ? 人とは傷付けることで癒されていくのだろ? 目の前は深いお前らの渦と嘘の箱庭〜 会ったことも話したことも祈ったことも殴ったことも愛したこともない、外野どもは簡単に言う “裏切られた” “国の恥” “説明責任” “真実を話せ” クソ食らえ、このAudience Killerども。 クソみたいな生活の中で生まれたクソどものはけ口のために、芸術もスポーツも何もかもが存在しているのではない。 なのに、クソッタレどもは簡単に自分を投影しやがる。 クソ食らえ、お前らが気持ちよくなるために全てがあると思っていやがる。 何が応援だ。 金賭けて応援してる方がよっぽど健全だ、応援する意味があるから。 ファンのために、応援してくれる人のために、って言葉を真に受けてるのか? みんな、自分のためにやってるに決まってるだろう。 そのくせ、何かあるとすぐに掌を返す。 敵役が欲しくて、叩く存在が欲しくてウズウズしてやがる。 なぜかって? 有名で分かりやすい敵役をこさえて、そいつを叩いていれば、大方自分が正しいことをしている気になれるからだろう? 自分が正しいって感じれるのって、最高に気持ちいいもんだろ? ワイドショー観てオナニーでもしてろよ、クソ食らえ。 アメリカとか関係ない、このクソ日本でもほとんど変わらないからね、これ。 メディアが垂れ流すクソに翻弄され、そのクソをクソったれ同士でこねくりまわし、クソを吐き出すことしかしないお前らa.k.a我々に、何一つとして語る価値も議論する価値も無いし、答えなんて誰にも出せないのだ。 そう、真実なんてどうだっていいし、本当のことなんてわかったところでどうすることも出来なければ、当人たち以外にとっては一時の暇つぶしにしか過ぎない。 ニーチェの言葉を思い出す。 “事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。” オーディエンスが気持ちよくなるための真実なんか、クソ食らえ。 オーディエンスが気持ちよくなるための正義なんか、クソ食らえ。 作中、登場人物同士がお互いを “怪物!”と罵り合っていた。(「となりの怪物くん」とは無論関係無い) 確かに、彼らは怪物だった。 トーニャは、自分を表現するスケートのためなら、暴言も横暴な態度も、あるいは芸術とかいうフワッとしたものとも立ち向かうことを辞さない怪物だった。 ラヴァナは、娘を一流にするためなら、猛毒母で美川憲一上等の怪物だった。 ジェフは、トーニャへの愛のためなら、暴力も脅しもなんでもする愛の怪物だった。 お友達のデブは怪物というか,,,最後の本人映像が、あまりにも闇が深すぎて爆笑した。あいつはちょっと論外、ヤベーよ。 そう、確かに彼らは怪物だった。 だけど、どうだろう?連中は、必死だったのだ。 貧困とか惨めさから、死に物狂いで抜け出そうと必死だった。 その必死な連中を前にして、 いい時は喝采を送るくせに、つまづいた瞬間に掌を返して蔑み、自分らのクソのはけ口に、自分の正義を感じるためのオナニーに彼らを”利用”するのが、世俗的な価値観を持った”人間”なのか? クソ食らえ。 「ダークナイト」の時と同じことを言わせてもらう。 そんなものが人間なら、僕はそこから下りる、”怪物”に喜んで成り下がろう。 醜いと罵倒されてでも、汚い手を使ってでも、他人を蹴落としてでも自分のために必死に戦え。 「Let It Go」の日本語訳verの歌詞にはヘドが出るが、この作品の自分が自分であるためには、心の底から信じられる。 彼女がスケートを奪われて選んだのは、ボクシング。 リンクからリングに場所を移し闘った。 でもきっと、彼女が戦い続けた相手はスケートであろうと、ボクシングであろうと同じだったような気がする。 彼女が最後に見せ付けた、血に染まった笑顔に僕は見たのだ。 “これが私だ、クソ野郎ども” この映画を、僕が味方しないわけがないだろう。 追記だが、このバカバカしくも世間に中指を突き立てたくなる作品のトーニャに完全に同意を送りたいことがある。 言わなくてもいいけど、どうせなら言わしてもらいます。 スポーツなんだから、すごい技やってうまいほうが勝ちだろ。 芸術点とかフワッとしたこと言ってお高く止まってんじゃねえよ、だから嫌いなんだよ、フィギュアスケートは。 クソ食らえ。←何回言ったでしょうか?
I had think A Romance of Beauty and the Beast is not right.
coz,many people or Disney fan said, "His Shaped of beast were better than Human." that's not right, that's not true.

I think...
That should be either fine!
coz,A most important thing is love(inside),right?

Del toro were make what a few people wished finally.
It's not romance, that's love.

昔から、「美女と野獣」は好きになれないというか、納得いかなくて。
結局王子と美女の話だったりするのも嫌だし、ファンも
やれ"野獣のままの方がかっこいい"
とか、そういう本質から完全にずれたことばっか言うから好きになれなくて。
だって、大切なのは心なんでしょ?

ロマンスよりも、本質的な愛。

デル・トロは昔から好きな監督だけど、僕と同じ考えを持っている人だから好きなんだって、やっぱり腑に落ちた気がする。

本当にいい好きなものを信じ続けることって、対人であれ、対作品や芸術であれ、それは変わらないんだね。

素晴らしい映画でした。
I had think A Romance of Beauty and the Beast is not right. coz,many people or Disney fan said, "His Shaped of beast were better than Human." that's not right, that's not true. I think... That should be either fine! coz,A most important thing is love(inside),right? Del toro were make what a few people wished finally. It's not romance, that's love. 昔から、「美女と野獣」は好きになれないというか、納得いかなくて。 結局王子と美女の話だったりするのも嫌だし、ファンも やれ"野獣のままの方がかっこいい" とか、そういう本質から完全にずれたことばっか言うから好きになれなくて。 だって、大切なのは心なんでしょ? ロマンスよりも、本質的な愛。 デル・トロは昔から好きな監督だけど、僕と同じ考えを持っている人だから好きなんだって、やっぱり腑に落ちた気がする。 本当にいい好きなものを信じ続けることって、対人であれ、対作品や芸術であれ、それは変わらないんだね。 素晴らしい映画でした。
悪魔の正体は、堕天使(ルシファ)と言われてる。
"善行"に縛られるような、そんな"正義の奴隷"になるのなら、堕ちて自由を。

生命・生殖、ありとあらゆる"当たり前に美しい"とされるものを、"気色の悪い行為"と打ち付け、神という存在に対して、"一体どこに価値があって役に立つのか?そもそも、話の通じる善の存在とは限らないじゃないか?"と、宣言するリドリー・スコットの姿勢は極めて心地良い。

生きる意味とか、人生の価値とか、そういうクソくだらない自己啓発本やらセミナーやらを開くような弱々しい人間が、
純粋に食うこと、生きること、種を蒔くことにだけ執着するエイリアンに敵うわけがない。

こういう俗悪な映画を見てゾックゾクすると、つくづく僕はサタニズムを自分の体の奥底から感じずにはいられないね。
悪魔の正体は、堕天使(ルシファ)と言われてる。 "善行"に縛られるような、そんな"正義の奴隷"になるのなら、堕ちて自由を。 生命・生殖、ありとあらゆる"当たり前に美しい"とされるものを、"気色の悪い行為"と打ち付け、神という存在に対して、"一体どこに価値があって役に立つのか?そもそも、話の通じる善の存在とは限らないじゃないか?"と、宣言するリドリー・スコットの姿勢は極めて心地良い。 生きる意味とか、人生の価値とか、そういうクソくだらない自己啓発本やらセミナーやらを開くような弱々しい人間が、 純粋に食うこと、生きること、種を蒔くことにだけ執着するエイリアンに敵うわけがない。 こういう俗悪な映画を見てゾックゾクすると、つくづく僕はサタニズムを自分の体の奥底から感じずにはいられないね。
タブーを犯してしまった迷える羊たちは、裁きの元でかりそめの自由を与えられる。
しかし、羊のなる木が示すように、彼らは植物の如く根を生やしている、蜜のように甘い血と、魚のように柔らかい肉を身に付けて。
そして、我々子羊たちは、タブーを犯してしまった羊たちを、簡単に許容出来ない。
まるで、自分たちが同じ木からなったものだと考えられないからだ。
そんな羊たちを尻目に、狼は周到にも羊の皮を被って、我々の血肉を狙っているのだ。
タブーを犯してしまった迷える羊たちは、裁きの元でかりそめの自由を与えられる。 しかし、羊のなる木が示すように、彼らは植物の如く根を生やしている、蜜のように甘い血と、魚のように柔らかい肉を身に付けて。 そして、我々子羊たちは、タブーを犯してしまった羊たちを、簡単に許容出来ない。 まるで、自分たちが同じ木からなったものだと考えられないからだ。 そんな羊たちを尻目に、狼は周到にも羊の皮を被って、我々の血肉を狙っているのだ。