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  • kogureawesome
    木暮修
    @kogureawesome

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#最近聴いてる音楽 #読んでる本
#Portishead#MassiveAttack#SigurRós#楢山節考#深沢七郎
特にポーティスヘッドの「Cowboys」とマッシブアタックの「Angel」を繰り返し聴いてる。
#横溝正史#金田一耕助#推理小説#探偵#市川崑#cinema#film#book
子供の頃から金田一耕助の映画が好きだった。
大人になると江戸川乱歩の妖しい世界が好きになって横溝正史の方は御無沙汰になった。
最近、ドラマで『悪魔が来りて笛を吹く』『黒蘭姫』『殺人鬼』を立て続けに見て金田一耕助熱が再燃して、市川崑監督の『犬神家の一族』
『病院坂の首くくりの家』『悪魔の手毬唄』を見直した。
レトロでスタイリッシュで猟奇的な部分は相変わらず好きだったが「えっ、こんなに人間関係複雑だったの?」と驚いた。
「妻と不倫相手との子供」と「不倫相手が関係した女性の子供」が兄妹とは知らないうちに恋に落ちたり、「母親がそれぞれ別々の子供たち」の父親が実は同一人物であったことから
起こる悲劇だったり
、「老人と少女の間に生まれた娘」が後に「(成長した)少女の夫」の不倫相手になったり人物相関図を書かないとわからないくらい入り組んでいる。
ところが、それは横溝正史の生い立ちによく似ていることを最近知った。
横溝正史の父と母はそれぞれ妻子や夫と子を持っていた。それぞれが名家の生まれだった。
不倫の末、岡山から神戸に駆け落ち。四人の子供を作った。横溝正史は三男だった。
しかし、母は横溝正史が5歳の時に亡くなり、父はさらに後妻を迎える。
しかも後妻にも亡くなった先夫との間に4人の子供がいた。
父は後妻との間に三人の子供を作り先々妻との間の子供「歌名雄」を引き取った。
横溝正史には血のつながっていない者を含めると14人の兄弟がいたのだ。
横溝正史のファンなら「歌名雄」という名前に見覚えがあるだろう。
『悪魔の手毬唄』の登場人物のひとりに全く同じ名前(漢字も同じ)の人物が出てくる。
横溝正史の小説は人物相関図が複雑になる理由があったのだ。兄弟の中には早くに亡くなった者もおり、横溝正史なりの鎮魂の気持ちが小説には込められているという。
#横溝正史 #金田一耕助 #推理小説 #探偵 #市川崑 #cinema #film #book  子供の頃から金田一耕助の映画が好きだった。 大人になると江戸川乱歩の妖しい世界が好きになって横溝正史の方は御無沙汰になった。 最近、ドラマで『悪魔が来りて笛を吹く』『黒蘭姫』『殺人鬼』を立て続けに見て金田一耕助熱が再燃して、市川崑監督の『犬神家の一族』 『病院坂の首くくりの家』『悪魔の手毬唄』を見直した。 レトロでスタイリッシュで猟奇的な部分は相変わらず好きだったが「えっ、こんなに人間関係複雑だったの?」と驚いた。 「妻と不倫相手との子供」と「不倫相手が関係した女性の子供」が兄妹とは知らないうちに恋に落ちたり、「母親がそれぞれ別々の子供たち」の父親が実は同一人物であったことから 起こる悲劇だったり 、「老人と少女の間に生まれた娘」が後に「(成長した)少女の夫」の不倫相手になったり人物相関図を書かないとわからないくらい入り組んでいる。 ところが、それは横溝正史の生い立ちによく似ていることを最近知った。 横溝正史の父と母はそれぞれ妻子や夫と子を持っていた。それぞれが名家の生まれだった。 不倫の末、岡山から神戸に駆け落ち。四人の子供を作った。横溝正史は三男だった。 しかし、母は横溝正史が5歳の時に亡くなり、父はさらに後妻を迎える。 しかも後妻にも亡くなった先夫との間に4人の子供がいた。 父は後妻との間に三人の子供を作り先々妻との間の子供「歌名雄」を引き取った。 横溝正史には血のつながっていない者を含めると14人の兄弟がいたのだ。 横溝正史のファンなら「歌名雄」という名前に見覚えがあるだろう。 『悪魔の手毬唄』の登場人物のひとりに全く同じ名前(漢字も同じ)の人物が出てくる。 横溝正史の小説は人物相関図が複雑になる理由があったのだ。兄弟の中には早くに亡くなった者もおり、横溝正史なりの鎮魂の気持ちが小説には込められているという。
#ArethaFranklin#RIP
#クイーンオブソウル#レディソウル
アレサ・フランクリンが亡くなった。
『Young, Gifted and Black』というアルバムがものすごく好きでした。
一曲目のピアノのイントロからの歌いだし、沁みます。

グラミー賞受賞回数は20回。
1987年、女性アーティストとして初めて『ロックの殿堂』入り。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第1位に選ばれている。
映画『ブルース・ブラザーズ』も良かった。
問答無用の歌い手だった。
#ArethaFranklin #RIP  #クイーンオブソウル #レディソウル  アレサ・フランクリンが亡くなった。 『Young, Gifted and Black』というアルバムがものすごく好きでした。 一曲目のピアノのイントロからの歌いだし、沁みます。 グラミー賞受賞回数は20回。 1987年、女性アーティストとして初めて『ロックの殿堂』入り。 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第1位に選ばれている。 映画『ブルース・ブラザーズ』も良かった。 問答無用の歌い手だった。
#怠惰の美徳#やる気がなくてもなんとかやっています#梅崎春生#本#book#japan

共感できる本を読んでいる。

梅崎春生は学校を卒業してから四年ほど働いた場所が朝出勤簿にハンコを押すだけであとは退勤までぼんやりする仕事だったという。そんなわけはないだろうと思うが、次の言葉は共感できる。
「私はこの生活は苦痛ではなかった。生まれつき私はじっとしているのが大好きで、せかせか動き回ることはあまり好きではない。体質的に外界からの刺戟を好まないのだ」
他にも
「私が人に強制したり忠告したりしないのは、自分が人からそうされたくないからだ。」
「学生生活とは本来、もっと楽しく生き甲斐があるものだか、私にはそれがなかった。学生生活を振り返ると、いつも私にはジメジメした感じがつきまとう。青春期にありがちな憂鬱症、それがずっと私には続いていたような気がする」
「どうも私は試験に弱い」
「私には、仕事が忙しくなると、すぐに原因不明の病人になる癖がある」
「精神にも肉体にも、その中核部において、昔から、甚だしく芯が弱いところがある」
「うちの娘は、たっぷり8時間は眠っているらしい。(らしい、というのは、私は、1日10時間から12時間眠るので、確かめるすべがない)」
「現在のような病める時代にあって、心身共に健全ということ自体が、異状であり、おかしいのである。健全ということは、すなわちデリカシーの不足あるいは想像力の欠如ということであって、私たちは先ずこれを排することから仕事を始めなければならぬと思う」
梅崎春生は大正4年生まれで、学生の頃から「天井から細い針のような不要物が落下してくる」という奇妙な考えのため、寝る時には頭に乾いたタオルをおかないと寝れないという作家だ。
書いているものは「俗物や落伍者から何が見えるのか」というような「ビリから見える世界」だった。
そんな梅崎は第二次大戦の際、暗号特技兵となった。
昭和20年5月、鹿児島の坊津に赴任。そこは特攻隊の発進基地だった。
戦後、そこで何が起こったのか、何を見たのかを梅崎が語ることも書くことも生涯なかったという。
評論家の古林尚が書いた解説にこんな一文がある。
「坊津で梅崎春生を見舞ったであろう残酷な私的制裁については、想像するだに慄然とするものがある」
私にはこれ以上のことはわからない。
ただ梅崎春生がエッセイ『世代の傷痕』に書いているように「あの頃は辛かったよと笑い過ごして済むような浅傷でないことだけは確かだ」。
#怠惰の美徳 #やる気がなくてもなんとかやっています #梅崎春生 #本 #book #japan  共感できる本を読んでいる。 梅崎春生は学校を卒業してから四年ほど働いた場所が朝出勤簿にハンコを押すだけであとは退勤までぼんやりする仕事だったという。そんなわけはないだろうと思うが、次の言葉は共感できる。 「私はこの生活は苦痛ではなかった。生まれつき私はじっとしているのが大好きで、せかせか動き回ることはあまり好きではない。体質的に外界からの刺戟を好まないのだ」 他にも 「私が人に強制したり忠告したりしないのは、自分が人からそうされたくないからだ。」 「学生生活とは本来、もっと楽しく生き甲斐があるものだか、私にはそれがなかった。学生生活を振り返ると、いつも私にはジメジメした感じがつきまとう。青春期にありがちな憂鬱症、それがずっと私には続いていたような気がする」 「どうも私は試験に弱い」 「私には、仕事が忙しくなると、すぐに原因不明の病人になる癖がある」 「精神にも肉体にも、その中核部において、昔から、甚だしく芯が弱いところがある」 「うちの娘は、たっぷり8時間は眠っているらしい。(らしい、というのは、私は、1日10時間から12時間眠るので、確かめるすべがない)」 「現在のような病める時代にあって、心身共に健全ということ自体が、異状であり、おかしいのである。健全ということは、すなわちデリカシーの不足あるいは想像力の欠如ということであって、私たちは先ずこれを排することから仕事を始めなければならぬと思う」 梅崎春生は大正4年生まれで、学生の頃から「天井から細い針のような不要物が落下してくる」という奇妙な考えのため、寝る時には頭に乾いたタオルをおかないと寝れないという作家だ。 書いているものは「俗物や落伍者から何が見えるのか」というような「ビリから見える世界」だった。 そんな梅崎は第二次大戦の際、暗号特技兵となった。 昭和20年5月、鹿児島の坊津に赴任。そこは特攻隊の発進基地だった。 戦後、そこで何が起こったのか、何を見たのかを梅崎が語ることも書くことも生涯なかったという。 評論家の古林尚が書いた解説にこんな一文がある。 「坊津で梅崎春生を見舞ったであろう残酷な私的制裁については、想像するだに慄然とするものがある」 私にはこれ以上のことはわからない。 ただ梅崎春生がエッセイ『世代の傷痕』に書いているように「あの頃は辛かったよと笑い過ごして済むような浅傷でないことだけは確かだ」。